韮崎から静岡の金谷に行って、浜松の奥山に登って飯田、伊那谷経由で韮崎に戻った一泊二日の旅は、なんと南アルプスを車で一周したことになりました。
南アルプス深南部の黒法師岳の西側登山口の戸中川林道ゲートに行くのは、静岡経由でも、飯田経由でもあまり時間が変わりません。どちらから行っても5時間という勘定です。アプローチの記録です。
初日は島田市の金谷まで。韮崎を出て甲府盆地を富士川沿いに南下して、新東名の新清水ICから安倍川、大井川を通過して金谷です。金谷は大井川鉄道の発着の駅です。SLや機関車トーマスの列車で有名です。大井川を渡る国道1号線の旧道、県道381号線の大井川鉄橋。
金谷での仕事が終わって(旧東海道を歩く)その日の夕方、戸中川林道ゲートの登山口を目指しました。ナビは金谷から水窪(みさくぼ)ダムの奥の戸中川林道ゲートまで3時間かかると表示しました。写真は水窪(みさくぼ)ダムです。
黒法師岳に登って下って、戸中川林道ゲートから水窪(みさくぼ)ダムを通過して国道152号線に出る手前、こんな山奥に鉄道が通っていることに驚きです。JR東海の飯田線です。(愛知県豊橋駅と長野県辰野駅を結ぶローカル線)
国道152号線は南北に直線的な道ということが特徴的です。日本最大の断層系である中央構造線に沿って出来た谷を通る国道です。地図を見ると、長野県茅野市の杖立峠からほぼ真南にまっすぐな国道152号線が確認できますが、中央構造線という大断層と同じラインだということです。
難所が2つ。青崩峠と地蔵峠です。「三遠南信道(さんえんなんしんどう)」というサインが盛んに登場するようになりました。長野県飯田市の中央自動車道・飯田山本ICから愛知県を経由して静岡県浜松市北区の新東名高速道路・浜松いなさジャンクション (JCT) に至る、総延長約100kmの自動車専用道路です。三遠南信自動車道のサインはたくさん登場しますが、全線開通しているわけではありません。地盤が弱いという主な理由です。最大の難所が青崩峠。
三遠南信自動車道として利用されるはずだった草木トンネル。この山の中の立派なトンネルは、この先がとても地盤が脆いということで計画変更されたトンネル。西側の青崩峠の方にトンネルを掘るとなった兵越峠下の話です。こんな立派な道路、トンネルを作ってからのルート変更ってどうよということですが、珍しいことだと思います。
草木川沿いの狭い道。
兵越峠(ひょうごえとうげ)、ヒョー越峠という表記もあります。戦国時代、武田信玄が上洛を目指し進軍したときの峠越えの道でもあります。
「遠州軍」(浜松市水窪町)と「信州軍」(飯田市南信濃村)の代表同士が綱引きを行い、勝ったチームが「国境」を1メートル相手側の領土に動かすことができるという有名な峠。
水窪町(みさくぼ)の標識は外されたまま。詳しいことはわかりませんが、今年の勝負はどうだったのか?
凄まじい峠道を長野側に下りました。
青崩峠のトンネル工事は行われているのでしょうか?
秋葉街道の和田宿。遠山郷の中心。ここを流れる遠山川は、南アルプス南部の聖岳や光岳の登山口ということになります。この遠山郷という地名の響きは特別な思い出があります。10代のころから読んで、すごくあこがれていた登山家、松濤明(大正11年1922 - 昭和24年1949、26歳で槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難)の「風雪のビバーグ」という遺稿集の中に登場する「春の遠山入り」という山行記。飯田から11日間かけて聖岳、赤石岳、悪沢岳を越えてこの地から山梨の早川に抜けるというもの。すごく憧れました。どうしても遠山郷のあたりがイメージできなくて、昔っから謎めいていたのですが、ここを車ですが通ることによってよく理解できました。
和田宿の北も三遠南信道(さんえんなんしんどう)として整備されています。
写真ブレブレですんません。秋葉街道の152号線から飯田方面に行く道は国土474号線、矢筈トンネルです。このトンネルの上には飯田から遠山郷の小川路峠越が通っています。4km以上ある長いトンネルです。
トンネルを抜けるとそこだけ首都高の高架橋じゃん!みたいな道路になります。
喬木インターチェンジ(たかぎインターチェンジ)です。道路建設の要望と実際と途中経過って感じになるとこうなるのでしょうか?
山の中にびっくりするような建造物なんです。
そして伊那谷から中央道で韮崎に帰りました。どこにポイントを絞っていいかわからないくらいのドライブとなりましたが、きっかけの南アルプス深南部の山はお任せください。アプローチは尋常ではありませんが、静かなオリジナルの山域が広がっています。
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