2016年12月4日日曜日

猫坂

みたけ道の話題がいくつか続きました。以前からとても気になっていた、みたけ道のルート上で自分が把握していない重要な場所、それか猫坂です。行ってみました。はっきり確認できました。昇仙峡から金桜神社に車を走らせて。


地形図を頼りに登ります。金桜神社の鳥居の右の林道に入ってしばらく上ったところからスタート。


林道はすぐ終わります。水道関係の施設までの林道です。そこからいかにもの道が伸びていました。(通行禁止の看板はありましたが・・・)しばらく登ってみて、地形図に書かれた徒歩線が実際の地形と一致しているということはわかりました。


沢が狭くなっていて滝が2個登場します。その脇をむかしの道が通っています。ちょっと危険です。


この立派な鉄製の橋は問題なく渡れます。枯葉がうっとうしくて足元が見にくいですが。


古い道しるべ。かなり広い範囲を大雑把に示しています。金峰山方面なんて表現です。


狭まった沢が広がるところに現れた、朽ちそうなつり橋。


こんな立派な橋も3~4個登場しました。


途中の林道手前の、立派な石垣。堰堤という意味合いだと思いますが、どんな目的で作られたのでしょう?


この林道はみたけ道猫坂の旧道を横切るようにつけられています。分断された猫坂の道に配慮するように設けられている手すり付きのステップ。無視されないで存在を尊重されているように感じます。そのことの意味は分かりません。ストレートに考えれば、新しい林道は、古い道なんか無視してもいいように感じるのですが、このステップは明らかに古い道を尊重しています。


クロスした林道の先にもこんな石積みがあったりしました。


道形ははっきりしていました。実際の地形と地形図も一致していました。


最後は少し急な登りでしたが、古い道形に導かれて着いた猫坂です。峠と言ってもいい場所です。金桜神社から猫坂に登って、この峠から寒沢川に向かって一旦下りの道になって、寒沢川を渡って黒平の集落に入ります


峠にあったすごく立派な山の神の石祠。この峠は黒平の人たちにとってかなり特別な場所だったようです。わかりやすい例えだと、戦中に出征する村人をこの峠で見送ったという話もあります。


金峰山講の鳥居跡の台座の石。みたけ道に全部で10あったと言われている鳥居の内の下から5番目の鳥居があった猫坂の峠。金桜神社の鳥居は3番目。10番目は五丈岩の南。


昭和37年に大規模な植林がされたという石碑。だいたい金桜神社の北側は神社の社有林です。


地形図通りの徒歩線だったので、峠から黒平方面にひどいヤブだったのですが下りました。峠から少し行ったところにあった馬頭観音です。


甲府市営林道みたけ線に出ました。猫坂の峠からの古い道は、この林道によって分断されていて、最後は酷いヤブでした。


この日は金峰山は雲の中でしたが、みみ石は立派に見えていました。


この辺りは、荒川ダムの下にある御嶽水力発電所の関連施設(送水管や調整池)があるので、こんな杭がたくさんあります。


帰りはつり橋を怖々渡ってみました。
金桜神社から猫坂の峠まで歩いてみたら大収穫!って感じの日でした。金峰山への信仰の道、原全教や深田久弥も歩いた猫坂をしっかり確認できました。猫坂、CATの猫ではなく、根っこ坂、根っこをつかみながら登らなきゃならないくらいの急登がある、という意味だと聞いたことがあります。


1 件のコメント:

  1. 「猫坂」の名前の由来が気になって検索していたらこのページに辿りつきました。そうか「根っこ坂」かぁ、納得です。みたけ道もいつか歩いてみたいと思いました。

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