2016年12月2日金曜日

みみ石

金桜神社の鳥居です。今は甲府市ですが、昔の字名で言うと御岳町です。日本百名山の金峰山に登る古の道はここがスタートでした。金峰山講の信者さんがたどった道。金峰山講中登山の最盛期には神主の家が70軒、参詣者の宿泊所が200軒もあったと言われている御岳地区です。


金桜神社のある御岳地区は今でも、いかにも宿屋さんだった感いっぱいの建物が並んでいます。この写真の建物は松田屋という屋号も見えます。金峰山講で栄えたみたけ道です。


甲府市営林道みたけ線を走って、猫坂過ぎに登場する大展望。右奥のはるかに見えているのが金峰山。手前左のとがったかっこいい山がみみ石と黒平地区で言われているピーク。この角度から見えるみみ石がとってもお気に入りなんです。こんな形のいいかっこいい山はなかなかお目にかかれません。


この日は「山と渓谷」という月刊誌の取材でした。編集者とライターさんとカメラマンさんと一緒にみみ石を登りました。なんとも説明が難しい展開です。テーマは単独行。事前に電話でやり取りして、テーマに沿うかどうかは編集者が判断したと思うのですが、いっつものやぶ山三ちゃん的な登山道のないところを地図読みしながらご一緒いただくという展開になったのでした。みみ石なんてそれこそ甲斐国志にも載っていません。この山の地元の黒平地区の人に聞いて確認した山名です。こんなかっこいい山、登山をしている人なら登ってみたいと思うに決まってます。


みみ石の南側には花崗岩の独特の岩峰があります。和尚殿おしょうでんと地元の黒平地区で言われる岩峰です。岩の形が和尚様が修行をしているみたいだという発想だそうです。和尚殿にも始めて行ってみました。すっごく気持ちのいいところでした。


風化した花崗岩のこんなくぼみもありました。


西の方角の黒富士や升形山。なかなか見ることない角度からの山々の連なりでしょう。


和尚殿からみみ石を見ました。真ん中の山です。みみ石に向かいます。


複雑な尾根ではないのですが、ただまっすぐ登ればいいという感じでもないみみ石です。なにげにけものみちを使ったりして、楽に登る努力をします。


僕らは地形図だけで判断するしかないので、南側の尾根状から山頂を目指しましたが、地元の黒平の人は、みみ石1664mの標高点の西に展開する尾根から登っていたそうです。山頂近くに、耳の形と言ってもいいような形状の大岩がありました。すぐ北側にみみ石から西に延びる尾根が確認できたので、その尾根からこちら側を見た時、耳の形に見える大岩が確認出来るのかもしれないと思いました。みみ石の由来です。


カメラマンさんのレンズに映っているのは八ヶ岳。すごくめずらしい角度からの八ヶ岳の全貌。


みみ石山頂1664mはこんな感じになんとはない景色です。


やぶ山を歩いているときに、見つける痕跡。人が歩いている証拠の枝折。こんな痕跡があるところを歩いたほうが楽なんですが、山と渓谷の編集者から教えていただいたこと。「しおり」の語源は、木の枝を折ることで山道などを歩くときに目印としたことから転じて、本をどこまで読んだかという目印などを「しおり」というようになった。枝折りということでしょう。


みみ石から北上してぶつかるトクサ(木賊)というピーク。このピークの左側にあるクリスタルラインという林道の上に木賊峠とくさとうげがあります。


尾ノ内川上流を下りに使いました。上黒平の集落に流れる沢です。等高線が緩いので問題ない沢かと思いましたが、お決まりのように小さな滝が登場しました。


いくつか登場した滝のひとつ。下るのにさほど難しいわけではありませんが、こういうギャップは少し緊張します。


紅葉も終わって、凍ってしまう前で、結構歩きやすいのですが緊張の沢下りです。


沢身から頃合いを見計らって、みみ石と和尚殿の間のコルに登り返しました。だいたいドンピシャだった登り返し。


みみ石と和尚殿の尾根から西の沢を下りました。途中にはいくつもの炭焼き釜の跡。


夫婦木神社の御神木を切り出したところにある,石祠と熊の爪痕が残るトチノキ。


いちばん立派な炭焼き釜の跡。


上黒平集落からの北の景色。左側に和尚殿が見えるのですがうまく写真に収められませんでした。ひとの暮らしと読図を必要とする山登りは自然に僕のテーマとなっているようです。山と渓谷の来年1月号か2月号に掲載されるはずのみみ石の山行です。はっきりしたらブログ記事に書きますのでお楽しみです!


0 件のコメント:

コメントを投稿