2013年4月29日月曜日

白州の中山


友人に勧められた`白州の中山´に行ってみました。
北杜市になる前の武川村と白州町の境にある里山です。
R20号を走ると、韮崎との境の小武川を渡り、宮之脇、牧ノ原と続くあたり南アルプスが見渡せる場所。
釜無川と大武川に挟まれてその山はあります。


R20号から左に入ると田んぼが広がります。武川米の産地。水は大武川から

 柳沢地区からの山々

 碑の説明文

弥太郎は柳澤吉保という有名人です。江戸時代 5代将軍徳川綱吉の大老様。
通称が弥太郎というようです。

 餓鬼の喉

こんな話が登山に関係あるの?なんですが、あるんです。
山名や地名を調べるのに、山梨で基礎になるのが『甲斐国志』。今から約200年くらい前に書かれた地誌です。江戸時代の甲斐の国を総合的に解説しています。たくさんある書物の中で信頼性が最も高いとされています。
『甲斐国志』よりさらに100年前に書かれた本に『峡中紀行』という本があります。今から300年前ということになります。書いたのは柳澤吉保のおかかえ学者`荻生徂徠´(おぎゅう そらい)。主君柳澤吉保の命令で2週間かけて山梨を旅します。目的は柳澤一族のルーツの地を訪ねること。山にまつわる地名もたくさん出てきます。『峡中紀行』のハイライトで出てくるのが`餓鬼の喉´戦がらみの場所なのですが、とんでもなく険しいところと書かれています。

 登山道入り口

中山は`中山砦´と呼ばれた山城だったようです。本拠としていたのは`武川衆´と呼ばれた地域武士集団でした。柳澤吉保の先祖たちです。

 展望台

 老朽化が進んでます


甲斐駒です。午後だったのでこんな感じ。中山の山頂には30分もかからず登れます。

 横手の集落

花も終わっていたのでこの解説がなければ通り過ぎてしまいそうです。

 角度が悪いけど全景

こんな立派な桜があるのを知りませんでした。
甲斐駒の横手駒ケ岳神社の入り口はすぐ近くです。
友人のお勧めは眺めがいいよ!というものでしたが、半日の歴史探訪の旅になってしまいました。








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