2013年5月3日金曜日

大峰山 修験道の山



関西ツアーと称して紀伊半島に行ってきました。
まずは大峰山から。

大峰山という山があるわけではなく、山上ヶ岳、大普賢岳、行者還岳、称山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳などの総称。
修験道とは、山へ籠って厳しい修行をして悟りを得るという山岳信仰。役小角えんのおづぬ(役の行者、7世紀頃の山岳修験行者、)が開祖といわれています。

直接今回の山行には関係ありませんが、山上ヶ岳から北の尾根沿いに吉野川までを金峰山というそうです。役の行者が示現(神仏が霊験を示し現すこと。また、その霊験。神仏のお告げ)し、金峰山寺に蔵王権現を祀りました。その蔵王権現を全国のあちこちに祀った所が金峰山となりました。山梨の金峰山もその一つ。

大峰山のキーワードは~大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)~
これは熊野と吉野を結ぶ100kmにも及ぶ修験道の道です。その間にある修行場は、「靡」(なびき)と呼ばれ全部で75箇所。今回登った称山(みせん)は54番目、八経ヶ岳は51番目。
参加された方のご主人のお言葉~大峰山でしっかり修行をしてきなさい!~


行者還トンネルの東側から取りつきました。トンネルの向こうの西側には駐車場があり、そちらから登る方が多いようでした。

 登山道の入り口

 国際的な案内標識


ツガとヒノキの仲間の大木。ヒメシャラが多くて独特の樹肌が、まだ芽吹き前の森の中で、とっても目立ってました。

 一の峠または一のタル

 主稜線の始まりです。

つまり大峯奥駈道の一部ということになります。風が強くてとても寒い日

 トンネル西口からの分岐

 理源太子像

理源太子は聖宝(しょうぼう)という平安時代の僧侶。役小角以降途絶えていた修験道の再興の祖といわれ、道を整備したり、仏像を立てたりして修験道を発展させた人のようです。この場所は聖宝の宿跡と呼ばれています。


理源太子像の足元にはたくさんの木札。`碑伝(ひで)´とか護摩札と呼ばれるものです。 碑伝というのは、修験道の行者(山伏・修験者)たちが、自らの修行の証しとして山中の行場に納める札で、木の薄板に墨で名前と年月日や願文などを書いたもの。
`奉修行大峰奥駈順峯´とか、`行者二六名´と書いてあります。順峯というのは熊野から吉野に向かっているということ。


フードをして寒さ対策。木の階段は濡れているし凍っているしで大変でした。

 称山(みせん)小屋到着


小屋はまだ営業していませんでした。300人収容の大きな小屋です。別棟を避難小屋として開放していました。みせんなんて読めませんでした。関東では山という漢字を`せん´とはあまり読みません。


立派な世界遺産の案内です。ここの世界遺産は三つの霊場~吉野、大峰・熊野三山、高野山~とその参詣道~熊野古道、大峯奥駈道、高野山町石道~ということになっています。ほんとに広いし、いろいろな要素が詰まっていて理解するのがなかなか大変・・・


枝が白いのは霧氷です。ずっと北西からの冷たい風にさらされています。山頂部分は雲がかかっていてまるで雪雲の中とおんなじ。

 

八経ヶ岳山頂。大峰山の最高峰です。大峰山といえば山上ヶ岳を指すという話もありますが、日本百名山党はここを目指します。深田久弥も山上ヶ岳から縦走してきてここから下山しています。


寒々しい景色ですが、ここは季節になればオオヤマレンゲの自生地で、ハス蓮の花に似た大きな白い花を見られるそうです。

 称山小屋に戻りました。


明日登る予定の大台ケ原にも雪雲みたいなのがかかっていて、風が強そうです。


下りは行者還トンネルの西口を選びました。これは失敗でした。ごろごろした石と木の根と急傾斜!

 登山口 こちらが一般道です。


世界遺産 World Heritage






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