この冬も地図読み講習を何度かやってきました。ルートを設定するのにあたって考えたことは、特徴的な地形のところではじっくり、わかりやすいところはスピーディーにということでした。現在地の確認、目標設定の仕方、先読みをして、コンパスに記憶させて、どんなことに注意して進むかという説明が主です。
まずは里宮にお参りしてからの登山開始
穂見神社がある苗敷山。では穂見神社とは?韮崎市のサイトから教えていただきます。
「南アルプスの鳳凰山を拝する山岳信仰の場として造営された苗敷山穂見神社(奥宮)は、稲作の神としてかつては広く信仰を集めていました。現存する社殿は元文元年(1736年)に再建されたもので、本殿・渡殿・拝殿が一体となった権現造りで、数少ない山岳信仰の神社としてたいへん貴重なため、韮崎市指定の文化財に指定されています。」
あらわれた丁目石、三丁目
標高700メートル周辺の平らな台地状のところ。とても立派な鳥居です。華表とも言います。山梨県埋蔵文化財センターのサイトに教えていただきます。
「13丁目にあたる尾根上には寛文4年(1664)の銘を持つ石華表(石鳥居)があり、額に「苗敷山」、貫に製作年代「寛文4申辰年4月3日」、柱の裏には製作者「大工府中魚町2丁目大阪吉兵衛」の銘があります。大工府中の魚町は、現在の甲府市中央3丁目付近に当たります。甲府府中からもわざわざ寄進される程、当時苗敷山への信仰が人々に浸透していたことがうかがえます。
今から350年も前に建てられたものです。横から見たら危ない!倒れてしまうのでしょうか?350年前というのは、南アルプス市の果樹地帯を潤している『徳島堰とくしませぎ』が作られたころです。
伐採のための林道を歩かされたあと、最後の登りとなるところで、やっと古道に合流です。
すっごい枝ぶりのヒノキ
二十三丁目の丁目石。元々の道はズタズタにされてしまい、この町目石もナンバー通りでは無いかも知れません。
西行法師の和歌が刻まれている石碑。「甲斐の国の巨摩の郡の苗敷のそのから松の下そす﹅しき」という歌だそうですが、「是、後人ノが偽作セシナルヘシ」とも書かれているそうです。
水場でもあります。
だいぶくたびれた石段。中には動くものもあります。
穂見神社奥宮到着!
明治時代の廃仏毀釈の時に乱暴に集められた石物群
これはモミの木。本殿を取り囲むように残されています。
平成22年に保存修理工事をした本殿
苗敷山はここが山頂だという所がありません。穂見神社ががそれにあたるのでしょう。
北の旭山には山頂といえるものがあります。三角点の標石です。旭山を目指します。途中は、韮崎の町からも確認できるくらいの伐採地です。カラマツの苗木が植えられていました。
旭山山頂の三角点標石。
ここからが読図の本番といってもいい展開です。尾根は登るよりも下る方が数倍難しいからです。一般的な道迷いも下りが多いと思います。ピークからの下りはじめの見極めがとても難しいです。コンパスを使っていたとしても、コンパスに頼り切ってしまうと、自分の思い込みも入って間違えてしまう・・・地形図の表現している地形と、実際の地形を見比べて、コンパスの進行方向も確認しつつ微調整しながら進みます。
ここは気持ちの良い尾根でした。
里に、どんぴっしゃ!
春霞でなんとなく写真がスモークがかかってしまっています。
地図読みの説明をしながら歩くと、どうしても時間がかかってしまいます。ただ歩くだけなら半日コースです。はっきり言って旭山はおまけ。ここでの主役は苗敷山穂見神社だと思います。ただ残念なことに、伐採で昔の道がなくなってしまった…
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