2015年4月2日木曜日

毘沙門堂フィールダー

いろいろ活動していると、マスコミとの接点も生まれます。雑誌フィールダーに取り上げられた2月。
今回は、このブログの記事のところを取材したいということで編集者とカメラマンとご一緒しました。岩水の毘沙門堂。「市川大門」二万五千図の標高約700mの山の中にお寺のマークがあります。
アイスクライミングで有名な千波の滝の取り付きの集落、旧三珠町の中山の垈ぬたが取り付き。

登り始めてすぐにシュンランのお出迎え!


毘沙門堂に至る昔の道、急傾斜の危険な所にはこんなアンカーがあったりします。


標高600m周辺の傾斜の緩いあたりは、畑でもあったかも知れない石積が残っていました。こいつは炭焼きのあと。


中山集落から登ってきて 、二股に分かれてた道。どっち?迷わず左でした。細かく沢と尾根を観察していたら、地形図の徒歩線、破線が、実際とは違っていることがわかりました。


北斜面にはカタクリの群落。まだ早い感じでした。つぼみだけ確認できました。


曽川の枝沢の源流。岩水という地名はここから来ています。この枝沢の流れだしが岩の間、小さな滝のようなところからです。


フィールダーの皆さん

これは墓石のようです。


毘沙門堂


食後の大福、今回は季節限定の苺大福


うまい!


毘沙門堂から東に、おそらく屋敷平と呼ばれている傾斜の無い斜面を登り主稜線に出ました。左に行くと、豊富方面。大峠のなだらかな山頂に行くこともできます。僕らは西へ。尾根をそのまま素直に西に進むと中山方面に戻ることになります。途中の901m標高点のピークから、高萩の集落を目指すことにしました。


三珠町誌に書かれている「経塚」
町誌からの地図です。「茶屋平」と書かれている931.8mは今の「たいら山」です。


毘沙門堂は、甲斐源氏の祖と言われている新羅三郎義光の奥方が、毘沙門信仰を守るために、ここに毘沙門堂を立て住んでいたと言われています。そして亡くなった夫人がここに埋骨され、息子の形部三郎義清が、供養の意味でお経を小石に書いて(たくさん)塚にしたというのが「経塚」です。
本当にあったからびっくりしました!


単純に案内(ガイド)するということではなく、読図の解説付き。


地形図通りに荒地マークのところはススキなんかの草っぱらでした。


この山中に畑があったのでしょう。何かを語りかけてくるような石積です。


昔は山と人とのつながりがとても濃いものだったと思います。


無事下山

フィールダー編集部のリクエストで芦川北側山稜に入りました。最高地点は901m。そのピークの北西にある毘沙門堂というお寺のことをいろいろ調べました。新羅三郎義光の話は伝説なんかではなく本当のことだったのかもしれません。ここに行ってみたいという方はご注意ください。読図が出来ないと危ないです。地元の方の話だと、いまだに発見されていない山菜採り、キノコ採りの人が2~3人いるそうです。
フィールダー編集部の一員のような気分になったところで予告、次号は4月27日発売だそうです。


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