雑誌フィールダーの取材の昨日。
今回は北杜市へ。テーマは300年前に書かれた書物の中に登場する「餓鬼の嗌 がきののど」。
柳沢一族を救った自然の要塞の「餓鬼の嗌」を探検しようという企画。
山梨県北杜市 旧武川町柳沢地区は柳沢氏発祥の地。柳沢保存会という方々が活動しているらしいです。素晴らしい!
柳沢保存会の方々が作った立派な石碑からスタート。
これは馬頭観音。
こちらの案内板は行政のもの。
沢に入って目的の枝沢を目指しました。餓鬼の沢という名前のようです。これは餓鬼の沢出合。
餓鬼の沢に入ってすぐに2つの砂防堰堤が登場しますが、巻きは簡単です。巻きは高巻き、上に行くことですね。
そして登場する2段30mの滝。登れる滝ですが、登るためにはしっかりした登攀具が必要となります。登ってやろうという気持ちを実践する機会は少ないので高巻きになることが多いんです。
高巻きの途中から見下ろしてみました。落ちたらひとたまりもありません・・・
マジやばいところはフィックスロープを張りました。
落ちたらどうなるかばっかり想像しながらのルートは優しくないです。
こんなところは登山靴が問題になります。しっかりエッジングを利かせるためには、ある程度靴底が固くないと使い物になりません。
到着した餓鬼の嗌。この石積みが何の目的だったかはわかりません。
岩小屋。
段々になった斜面。
たくさん咲いていた、可憐なハナネコノメというネコノメソウ。
『甲斐国志』よりさらに100年前に書かれた本に『峡中紀行』という本があります。今から300年前ということになります。書いたのは柳澤吉保のおかかえ学者`荻生徂徠´(おぎゅう そらい)。主君柳澤吉保の命令で2週間かけて山梨を旅します。目的は柳澤一族のルーツの地を訪ねること。山にまつわる地名もたくさん出てきます。『峡中紀行』のハイライトで出てくるのが`「餓鬼の嗌がきののど」戦がらみの場所なのですが、とんでもなく険しいところと書かれています。
上流に見える滝
帰りは下りになるので、往きよりももっと慎重を期します。笑っている場合ではないんですけど!
しっかりとした登山技術がないと、行ってはいけない場所だと確信を持ちました。
帰りはロープが活躍しました。
初めての懸垂下降。経験値が上がりました。
沢地形のポイントを赤丸で書いてみました。だいたいの目星はついていました。隣の沢にはこのような等高線の広がりはありません。何かあるとしたらここしかないと読んでいました。ドンピシャで存在したので、やったー!って感じでした。雑誌フィールダー、4月27日発売、どんな記事になるか楽しみです。
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