日向八丁というのは甲斐駒から鋸岳に続く尾根上の鋸岳手前の三ツ頭というピークから派生している尾根です。その三ツ頭の北東にある烏帽子岳から大岩山南のコルに至る長さ約2kmほどの尾根を日向八丁と昔から呼んでいます。
山行をリクエストいただいた方の中に遠く広島からの参加者がいて、夜行バスで山梨まで来ていただいて早朝合流。そのまま白州町道の駅に移動し、この有名な句からスタートというのもなかなか季節感があってワクワクした朝でした。
「目には青葉 山ほととぎす 初かつを」
山口素堂(1642-1716)は甲斐国巨摩郡上教来石村山口(現 北杜市白州町)生まれ。江戸時代前期の俳人が今の国界橋手前の集落山口の出身というのもすごいと思いますし、この句が、今から登ろうとしている山の季節感とドンピシャっていうのも凄いと思いました。白州道の駅に行けばいつでも見ることが出来る石碑です。
県内でもトップクラスの人気の山、日向山の登山口矢立石からスタート。ヤマツツジの鮮やかな赤に励まされつつ登ります。
山の神の石祠も、道、登山道のえぐれた様子も山仕事の道だったということを知らせてくれます。
日向山山頂の三角点柱石。この三角点名は「日向山」
山口素堂の句の通り、新緑がみずみずしくとても美しい森です。「目には青葉」です。
白砂青松の日向山山頂部に出ました。一番高く見えているのは大岩山ではなく駒薙ノ頭です。大岩山はその奥、遠いわ!
花崗岩の風化した白砂の斜面はみんな楽しくなってしまうスポット。ヤッホー!です。
日向山西の最低鞍部。鞍部もコルも窓もキレットも峠もほぼほぼ同じ意味、ピークとピークの間の一番低いところです。
駒岩まで気持ちを入れ替えて山と向き合います。しっかり登るからです。
ふと下を見るとキラキラした鏡のような水田が見えました。田んぼに水が引かれお田植えも済んでいるのですが、稲がまだ成長していないので田んぼがキラキラでした。北杜市武川村地区は日本でもトップクラスのお米の生産地です。
スッカとした青空ではなかったものの、富士山も登場!
甲斐駒山頂も見えました。わかりにくいんですが、甲斐駒の右にチョコっと尖がったピークが烏帽子岳です。その烏帽子岳を目指してます。遠いわ・・・
駒岩。ここは鞍掛山の分岐です。すごく平らなので水を持って来ればテントを無理なく張れます。
植林ではないカラマツの自然の森は千段刈と昔から呼ばれていました。
駒薙の頭から見えた日向八丁の先のピーク、左が烏帽子岳、右の台形が熊穴沢の頭。
里からなかなか見ることが出来ない大岩山の山頂。日向山からこのピークを日帰りでピストンはちょっと高いハードルです。大岩山の名前の由来は南面の岩壁からです。
梯子が見えました。これを下れば大岩山のコル。
梯子の下り。
下ったらクモイコザクラがたくさん!
意外にたくさんの花を見ることが出来てお得感満載でした。
小ピークの登下降を含めて日向八丁の始まりです。時期が早かったわけですが、2、3週間後にはイワカガミの楽園になるということがわかるくらいでした。
手前の尾根は坊主岩に通じる坊主中尾根、甲斐駒の山頂はいつでも凛々しいです!
この時期の南アルプスを象徴する花、バイカオウレン。白系の可憐さを持った花のファンです。
ずっと厳しい登りをこなして来て、甲斐駒本峰の励ましと烏帽子岳への最後の登りの写真。登りで日向八丁を使った場合のハイライトが始まります。
ルート上の厳しさは続きます。
標高2500mを越えるあたりから現れた厄介な残雪。登山者が圧倒的に少ないルートなので、トレースは当てにはできません。自分たちで考え、こなさなければ前に進めません。
烏帽子(えぼし)って平安時代から近代にかけて和装での礼服着装の成人男性が被った帽子のこと。北杜市白州の里から見てもその通りに、烏帽子の形に見える烏帽子岳の山頂は東西二つのピークです。そのことはそこに行かないとわからないけど、地形図を見ればわかる事ではあります。東のピークに立っただけで即わかる特別な場所だという修験者の痕跡のこの人工物です。
風化してしまっているけど明らかに登山者が来る前から人が目的をもってこの場所を訪れていたとわかる人工物。こんなものに出会うと背景はどうあれ畏敬の気持ちを抱きます。
そんな場所に立っているお客様。幸せなひと時だと思います。
烏帽子岳西のピークの標識。
三ツ頭のピーク手前の標識。そんなに簡単には行けない場所だと思えます。ありがとうございました!
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