2023年6月20日火曜日

十二ヶ岳

先週、目的の山のアプローチが通行止めで急遽行くことになった十二ヶ岳のブログです。不安定な梅雨空で、東から雨がこちらに来るのが見え雨具を着ての出発でした。写真は富士五湖のひとつ西湖の東岸です。


西湖ですからマンホールの蓋のデザインは西湖でジャンプするクニマスです。ちょうど今月でかけた田沢湖の話に通じます。そういえば田沢湖周辺に盛んにクニマスの表記が登場していました。
田沢湖は秋田県内陸部にあり、日本で最も深い湖。かつてヒメマスやコイ、ウナギも捕れる豊かな漁場だった。田沢湖の東側を玉川が流れ、その水源近くには、97℃の温泉が毎分5千~1万5千リットル噴き出し、江戸時代から湯治場として栄える玉川温泉がある。ただ、PH1.1(中性はPH7.0)と強酸性水のお湯は、地元で「玉川毒水」とも呼ばれる。玉川の温泉水が流れ込む流域では農作物が育ちにくいなど、人々を昔から苦しめてきた。国は1930年代、「食糧増産と電源開発」のかけ声のもと、玉川の水を当時PH6.7だった田沢湖へ引き込み、希釈する計画を打ち出した。1940年から流し込み、希釈された玉川の水で開墾された仙北平野は穀倉地帯として米どころ・秋田を支えている。さらに、湖水で増えた川の水を利用したダムや水力発電施設も建てられた。ところが田沢湖の酸度は上がり、水質が大きく変化。すんでいた魚は一年で死滅し、「死の湖」と呼ばれるようになった。】朝日新聞デジタル
【田沢湖から本栖湖・西湖・琵琶湖などへクニマスの卵が移植された記録はあり,2010年(平成22年)3月に京都大学中坊徹次教授のもとに届けられた山梨県西湖の黒いマスが、詳しい研究の結果、田沢湖で絶滅したクニマスであることが判明】山梨県HP

西湖のクニマス発見にはかのさかなクンも登場します。


話があらぬ方に行ってしまいました…
ん~十年ぶりの十二ヶ岳。文化洞トンネル東の登山口を無視して西湖の集落の中を東に進みました。もちろんニ五万図ベースです。集落外れにあった風化した双体道祖神


文化洞トンネルの上の峠にはたくさんの馬頭観音がありました。西湖と河口湖長浜との行き来の峠でした。峠の名前はわかりません。


約600mの標高差を登って毛無山山頂です。山頂と言っても尾根上のピークに過ぎないわけですが、十二ヶ岳に向かってそんなピークを十二トレースしていくわけです。山頂のヤマボウシはミドリでした。


全てのピークをトレースするわけではありませんが、段々険しくなっていきます。


毛無山から数えて何番目という感じです。


はじめはやさしい登山道


四ヶ岳から少し雲が切れ、十ヶ岳と十一ヶ岳が見えました。ここでカッコウの仲間のジュウイチが十一、十一と鳴くわけです。


だいぶ登ってきました。西湖が見えます。写真ではわかりませんが、左に河口湖が見えていました。実際見ると明らかに河口湖の方が低いです。地形図で確認すると西湖の湖面の方が河口湖より70mも標高が高いです。地形図には河口湖側に水力発電の発電所の記号。西湖と河口湖の落差を利用して西湖の水で発電しているんでしょう。


やつがたけと読むのか、はちがたけと読むのかはわかりませんが、このあたりから段々険しくなっていきます。


この日の目的はロープに少しでも慣れていただくというものでした。クライミング志向のない方でも経験としてロープに体重を預けたことがあるのとないとでは大違いです。


十一ヶ岳からが本番で、十二ヶ岳まで本気になります。


十一と十二の間のギャップの吊り橋。これ有名ですよね、ちょっと傾いてはいますが。


吊り橋を渡った直後の様子。直上ではなく左に回り込みます。


絶対に落ちたらいけないところ。


そんな岩場でちらほら見かけた花。写真が鮮明でないのはそんなこと(撮影)をしている場合じゃないってことです。よくわからなかったけど、シュスランの仲間かな?と思いましたが葉が違うのできっと背の低いギンランだと思います。


1683m標高点の先の十二ヶ岳山頂の祠。


1683m標高点から南に桑留尾川の方に下ってますが、なんともやさしくない登山道です。


サラサドウダンが凄かったです。


雨が止み幻想的な森になりました。標高1300mより下からはとても優しい登山道でした。


西湖湖畔の県道よりだいたい100m上にあった古い道。旧根場通学路と書かれています。根場は西湖の西にあった集落で、1966(昭和41年)大雨が続いて「山津波」と呼ばれた土石流に飲み込まれてしまった根場です。地形図を見ながら、根場集落の子供たちは馬頭観音が並んでいた峠を越えて河口湖長浜の学校に通っていたのかもしれないと想像しました。距離を測ったら6kmくらいでした。

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