八ヶ岳キレットを余裕を持って歩いた山行です。合流は中央線の小淵沢駅。ちょうど山梨県北杜市のマウンテンタクシーが停まっていました。タクシーの外観のデザインがかっこいいです。梅雨の晴れ間が約束されたような天気予報のもと、すごい人出のアプローチでした。注意しておきたいのは、タクシーも予約していないと乗れないという状況です。目の前のタクシーは予約優先で、予約なしの人は1時間後にという感じでした。
予約したタクシーで移動した観音平の様子。駐車場はとっくにたくさんの路駐車列が延々と、という感じでした。
単調な登山道を淡々と登って押手川の分岐。
甲府盆地の向こうに富士山です。景色の主役が富士山というのがほかのエリアと違うんだと思います。なんといっても富士山ですから。
編笠山の三角点柱石。
編笠山の山頂から青年小屋に下る岩ゴロゴロの登山道。
昭和の感覚が残る青年小屋。そんな山小屋はもはや珍しいかもしれません。
2018年10月の台風による土砂崩れ。青年小屋の水場「乙女の水」横です。縦走路の狼煙場というピーク直下の沢で、乙女の水場がどうなってしまったか気になっていましたが、久しぶりに訪れてみると、湧水は問題の沢の横から出ていて直接影響はないように思えました。この時の土砂は下の鉢巻道路にまで達していたのを覚えているのは、直後に車で走っていて土砂を見ていたからでした。土砂の流れた跡が一筋に森を切り裂いていた記憶は痛々しいものでした。
青年小屋の前のクロユリ。
ギボシの鎖場を見上げました。
ギボシのピーク。
ギボシのピークの不動明王像三体。
有名なハシゴで権現岳と旭岳のコルに下ります。
旭岳の奥に赤岳。旭岳の次にツルネを通過してキレット小屋が最低鞍部となるキレットです。
イワカガミ
クモマナズナ
ミヤマシオガマ
チョウノスケソウ。長之助って誰だろう?と調べました。須川長之助です。1842-1925の生涯、岩手県紫波町出身で十代で函館に行って運命的な出会いをします。相手はロシア人。
『万延元(1860)年函館に渡来したロシアの植物学者カール・ヨハン・マキシモビッチに仕え、マキシモビッチが帰国するまでの3年間あまり植物採取助手として彼の研究を助けた。その後も日本国内の採集旅行を続け、その押し葉標本をロシアに送り、植物分類学発展に陰の功労者になった。』 いわての文化情報大辞典より
牧野富太郎は須川長之助の業績を認め、長之助が立山で採集した高山植物にチョウノスケソウの和名をつけています。チョウノスケソウの名前由来です。今朝のNHK朝ドラで牧野富太郎に届いた手紙はマキシモビッチからでした。
イワベンケイ
ミヤマキンバイ
チシマアマナ
赤岳南峰の一等三角点の柱石
2泊目は赤岳天望荘です。赤岳の展望と天望荘。
赤岳天望荘の夕食
翌朝の日の出と雲海
ウルップソウが咲き始めていました。
雲が多めの3日目。
地蔵尾根を行者小屋に下りました。
美濃戸口の駐車料金が1日800円になっていました。美濃戸は1,000円のままでした。
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