世界遺産の富士山ですが、その前に日本人の多くが一度は登ってみたい(登山経験がなくても)山なのだと思います。宮崎県からいらした今回のお客様は、古希(70歳)になられて人生のカウントダウンを意識され、御自分のファミリーの現在位置とつながりを形にしようと富士山にチャレンジというリクエストでした。つまり、福岡と川崎にいる子供とお孫さんと一緒に古希記念に富士山に登りたいというものでした。
待ち合わせの水ヶ塚駐車場に朝行くと、富士登山をしない方も含めて一族の方がお集まりでした。今回、ご家族の方々が一堂に会して、その代表者5人がガイドとともに富士の山頂を目指す!とても大切なイベントということでした。ところがとても登ることの出来ないような雨と強風の天候です。警報一歩手前って感じ・・・その日のうちの登山開始は諦めて、翌朝暗いうちから行けるところまで行くという決断になりました。富士宮口五合目のレストハウスが宿泊出来るなんて初めて知りました。その日はそのレストハウスに夕方入って、翌朝3:00の行動開始です。
一日目の午後9時くらいの富士宮口五合目レストハウス前の様子。何人もの弾丸登山グループが通過して行きました。
新七合目、御来光山荘手前でいよいよ太陽が昇る。
御来光です。
八合目池田館に着いて、ご褒美のように山梨の果物、巨峰を出してぶどうパワーで登っていただきました!生まれてこんなたくさんにブドウを食べたのは初めてだ~!という声も。
池田館よこのトラバース道を御殿場ルートを目指します。
これが富士山の山小屋に物資を運ぶブルドーザー
山頂を目指し登っていくと、登山道わきに「長田尾根」の記念碑
サイトからの引用
『強力として活躍した後、気象庁の職員となった長田輝雄さん。富士山をもっとも知り尽くしているといっていいベテランだったが、冬季登山中の御殿場口7合目付近で突風に煽られ、頭から岩に激突して即死してしまった。享年59歳。長田さんの死後、全国の気象庁職員から募金がよせられ、8合目の尾根から頂上に向かって幅1m、長さ1,100mの尾根伝いの登山道が開かれ、風から身を守る鉄柵が設けられたそうです。この登山道は「長田尾根」と呼ばれています。』
今はその鉄柵はありません。
富士山は気象観測の山でもありました。野中至のチャレンジから年間を通じて山頂の測候所に交代で人が入り観測を続けていました。その人たちが登るルートが御殿場口の登山道でした。太郎坊には殉職者の大きな碑もあります。
御殿場口山頂の鳥居も見えてきました。
剣ヶ峰 馬の背
日本で一番高い場所は剣ヶ峰です。富士宮口、御殿場口からはすぐそこですが、馬の背の急登が待っています。最後の頑張りです!
噴火口の底「大内院」、虎岩、富士宮口山頂が見えています。
下山は御殿場口から下りました。大まかにつづれ織りになっている登山道は傾斜を殺しているので下りやすいです。何より人が少ない!
あっという間に宝永山まで来てしまいました。
イワオウギ
最後は宝永山の馬の背から富士宮口五合目に下りました。なんといっても距離が短いからです。本当に頑張って歩いた最年少の小学生のゆりちゃんのことを考えてのことでした。最後のこの階段を彼女が下る時、僕は恥ずかしげもなく、周りの登山者なんか眼中になく、ゆりちゃんに「今までの人生で一番頑張った!よくやった!」と、思わず大きな声で声をかけました。心配で心配で、バスで五合目まで来ていたゆりちゃんのお母さんが思わず涙しました。ご家族代表の涙でした。旧盆に全国から御家族が集まって、そのメインイベントが富士登山。こんな素敵な世代のバトンタッチがしっかり出来ている素晴らしいご家族に巡り合えて、こちらこそ感謝でした!
お疲れ様でした!
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