雑誌Fielderの取材の日でした。金峰山講のみたけ道、江草岩の下ルートに行きました。僕は何度も行っているところなのですが、全国誌のFielderとしては初めてのところ。古道と歴史を絡めるというリクエストにはうってつけのルートだと思います。辺見筋の旧道、江草の大渡(おおわたり)から東を見た写真です。右のエリアに入ります。
大渡の上の旧道の峠に建立された石仏は倒れていました。台座の「右みたけ道」と掘られた文字が空しくなります。道しるべの役目の石仏です。
岩ノ下集落の南のはずれ、山に入る前にある観音像。ナンバー1。
昭和10年に発行された、原全教「奥秩父続」という本があります。そこに書かれているこのルートのこと。「文政年間(1818~1830年、約200年前)江草村の岩ノ下の萬屋と云ふ造り酒屋では、大峠まで一丁置きに、石の観世音を建立して祖先の菩提を弔ひ、これを道標に兼ね、みたけ参詣の衆への便宜を計つたのである。それから大峠を観音峠と云ふようになった」 今回見つけた分も含め石仏を追います。
帰りに見つけた観音像ナンバー2、集落のはずれは昔口留番所があったそうで、その番所の上からみたけ道は始まっています。このナンバー2の上の平らなところまでは等高線3本分くらいです。標高差約30m以上40m未満ということです。そこは昔の道形が見つけられなくてひどいヤブでした。
去年見つけて観音像ナンバー3。品がある石仏です。
舗装された林道から離れている観音像ナンバー4
古いみたけ道の道形を追うと出てくる観音像ナンバー5
旧道の道形に登場の観音像ナンバー6
ヨロヤ沢出合手前の観音像ナンバー7
ヨロヤ沢に入ってすぐのところに登場する観音像ナンバー8
ヨロヤ沢が広くなる手前の観音像ナンバー9
ヨロヤ沢が広がったところの大きめの観音像ナンバー10
伐採地の途中の斜面の観音像ナンバー11
今回初めてお会いした観音像ナンバー12
周辺の雑木林の間伐をした際に見つかって、森林作業をしていた方たちが見つけて動かしたそうです。ヨロヤ沢から穴小屋沢を隔てる尾根の手前の斜面です。今回初めてお会いしました。
峠の観音像ナンバー13
穴小屋沢に入って初めて出会う立派な観音象ナンバー14 道しるべであるとわかるのが台座の下の近隣の集落の名前。
廃仏毀釈により頭部がない観音像ナンバー15
細かく枝分かれした沢の途中の観音像ナンバー16
原全教の「続奥秩父」の中に「地蔵尊」と表現される、いちばん大きな石仏。ナンバー17
大峠の観音像ナンバー18
初めのころは11体確認出来ただけだったと思います。毎年新たな石仏に出会って18体までになりました。11➡18なんですが、岩の下集落から大峠までのだいたいの距離が4.5km、岩の下の造り酒屋萬屋の発願で丁石の観音像建立がなされたということからすれば40体くらいはあるはずなので、(距離÷一丁目の距離109mです。)まだまだ埋もれた観音像が見つかるかもしれません。
マムシグサ ほかのエリアに比べても多い気がしました。
古いみたけ道の道形。
ギンランが一輪、今にも咲きそうでした。
ヤマツツジの百花繚乱。
まだ咲いていたイチリンソウ。
樹間ににたくさんあったレンゲツツジ。標高1000mくらいだったから咲いているのでしょうか?普通は6月に入ってから1700m位で咲くイメージです。
岩の下の集落。
大峠までの観音像建立の発起人の萬屋の現在。
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