大井川椹島を起点に、赤石荒川と時計回りに縦走した山行の2日目は晴れました。全ての天気予報が雨が降ると言っていたので、良いほうに外れて最高の気分でした。山頂から百間洞方面、遠くに聖岳が見えています。この多重山稜の岩クズの地形はガスればとても難しくなります。
富士山を見ながら朝日を浴びて、すがすがしい気分で歩き始めました。
小赤石岳を過ぎると目の前に荒川、悪沢岳です。大きいです、雄大です。南アルプスのど真ん中3000mの稜線を闊歩しているということを実感しながら歩きます。贅沢な一日でした。
赤石岳のクラシックルート、小渋川を見下ろします。朝日が照らす大聖寺平の平です。
目立っていたタカネヤハズハハコ。
標高を下げると雲が上がってきて現れたブロッケン。
大聖寺平のケルン。こんなに大きなものですが、本気のガスガスの中では何の保証にもならないかも?なんて考えながら通過しました。本気のガスガスだと直前まで存在すらわからないということになるでしょう。ケルンのことです。
奥西河内の源流をだらだら下る登山道。
ガスが晴れて来ておもちゃみたいに見えた荒川小屋。
小屋の下の勢いのある水場。水を補給しました。
ウラシマツツジの赤が目立つ中の登り。
荒川前岳、中岳と通過します。荒川というのは飯田側、長野県側の地名です。荒川大崩壊地という崩れがある長野側の小渋川源流です。
ヒメセンブリ 初めて会った花でした。
トウヤクリンドウが咲いているのも珍しいと思います。たいがい咲く前に茶色くなって閉じたままのトウヤクリンドウというイメージです。
悪沢岳山頂。日本で槍ヶ岳に次ぐ標高です。3141mは日本で6番目の高さの山頂です。
万之助カールです。カールはドイツ語で日本語は圏谷けんこく、氷河の浸食で出来たおわん型の谷のことです。このカール正式には丸山カールと呼ばれるようですが北側、特に奥秩父方面から遠望するとはっきり確認できる大きなカールです。僕は万之助カールと呼びたい。天気にも味方されて時間があったのでカールの底に降りてみました。
カールの底の雷井戸と呼ばれる水場。豊富な水量で稜線から30分くらいで下りました。
何か人の痕跡がないかときょろきょろしていたら、朽ちた鉄鍋がありました。
昭和40年くらいまで万之助小屋がカールの底あたりにあったそうです。何の目的であったのかということはわかりません。小屋の石積みが残っていると聞いていたので確認したかっんでカールを下りました。万之助というのは神部満之助(かんべまんのすけ)の万之助です。神部満之助は大倉喜八郎の大正15年(1926年)の大名登山の陣頭指揮をとった人物の様で、後にゼネコンの間組第3代社長になる人物です。
3000mの稜線は赤く染まってました。
千枚岳手前の岩場に設置された梯子。アルミ製でちょっと心細い感じはありましたが、しっかり固定されていました。
サンプクリンドウがかろうじて咲いていました。
2泊目は千枚小屋にお世話になりました。
小屋番の方が見せてくれた万之助小屋の石積みの写真。これを見れなかったのは全く残念
3日目は雨。千枚小屋の前からバッチし見える富士山もダメ・・・
長~い蕨段尾根を下って、今年から供用の吊り橋を渡りました。まだ新しい道はハードな道、真新しいので岩や根っこが邪魔する道でした。
椹島の事務所で見せていただいた東海フォレスト100年史。残念ながら万之助さんは登場していないようでした。どんな人物なんでしょう?宿題です。時計回りに赤石荒川を縦走した2泊3日の山行でした。
神部満之助は大倉喜八郎の赤石登山の陣頭指揮を取った人です。当時筆頭株主喜八郎の東京電燈東電の大井川田代ダム建設中の間組の33才の責任者。身延線の全線電化、富士岳麓工場の発展に寄与している。満之助小屋はダムの雨量測量と前年の喜八郎の配下事前登山の松永安左衛門(電力の鬼の異名)と満の助の悪沢岳登山小屋。
返信削除この二人等の西俣登山口がリニアのトンネル当たりになります。因みに中2のとき満之助社長の講演拝聴しています。加藤文太郎の赤石岳荒川縦走は翌年昭和2年8月でした。