何とも懐かしいものです。
これはハンドメイドの綴れ織りです。別な言葉で‘タペストリー’
今から27年前に、オーストラリアのメルボルンで僕が織ったものです。
サイズは40cm×90cmくらいです。一週間かかって織り上げたものです。
一年間日本を離れて岩登りに行ってました。そういうことになっています。
アラピリーズ、ブルーマウンテンズ、シドニーシ―クリフ、フロッグバットレス、ファンガヌイベイ・・・
なんだったのかは、ずいぶん昔の事なので忘れてしまいましたが、岩場横の牧場で一頭のヒツジと目が合ってしまったところからこのタペストリーにたどり着いたのだと思います。
生活困窮者!?は今もそんなに変わりませんが、当時は尚のことそうでした。
キャンプ生活だけでは食べていけなくて、街に出て働かなくてはなりませんでした。街の生活に慣れたころ、とあるイベントに遭遇しました。
‘農業まつり’でした。
そこでヒツジの事を思い出したのでした。トラクターや農業資材の横でクラフト展をやってました。
友人宅でスピニングホイール(刈り取ったヒツジの毛を毛糸にする糸紡ぎ)を回したりしていた僕はとても興味を持ちました。上手に毛糸を紡ぐことが出来るようになっていたからで、出来た毛糸の使い道をどうしようか?というのも少しあったような気がします。
街に住んでちょっと気になっていたことがありました。銀行や公共施設に行くとホールの壁によくテキスタイルが飾られていました。タペストリーです。タイトルと製作者が小さく書かれていて、その多くは、「Victorian Tapestry Workshop」とありました。日本だったら絵画や、場合によっては陶壁画なんかが無味乾燥な壁に飾られていたりしますが、メルボルンはタペストリーがとても多かったのです。
ビクトリアン タペストリー ワークショップ(V.T.W)
農業まつりのクラフト展から帰って、ヒツジの目と毛とクラフトとが一体となった場所だろうとV.T.Wに出かけてみました。
もはや古い話なので正確ではないかもしれませんが、ビクトリア州が運営しているタペストリーの工房がV.T.W!というのが当時の僕の認識でした。劇場の緞帳なんかも作っていて、全て手織りですので一年以上製作に時間がかかるものもあると言っていました。
まぁ細かいことは・・・ですが、
「ここは、クラフトとアートが結婚した場所なのよ。」というレセプションの女性の言葉が印象に残っています。その彼女が言うには、世界で綴れ織り(タペストリー)の生産地が4か所ある、一か所の名前は忘れましたが、フランスのゴブラン織り、日本の西陣織り、そしてV.T.W!
V.T.Wで働けるわけでもないので、2m×2mの経糸を張る枠を(スチール製)手に入れて、V.T.Wの主婦向けの‘タペストリーの織り方’みたいな講座を受けたりして、とにかく自分ではじめてみました。
仕事をするか、タペストリーを織るか、の数カ月の日々でした。
ちなみに仕事は、職安で見つけた鋳物工場。イタリア人街にあって、環境としては劣悪でしたが、仕事はのんびりしていたので、熱いことを除けばそんなに苦労はしていません。確か給料もよかったので、貯金も出来ました。イタリア、ギリシャ、トルコ人が中心で、今はなきユーゴスラビアなんてのもいましたし、ベトナム人もいました。
羊毛の生産が盛んな土地で、マニュファクチュアから離れて、表現のツールとして羊毛を生かす!
なんだか地産地消の響きがあって、とても心魅かれたV.T.W。とにかくその時は、タペストリー!タペストリー!タペストリー!だったのでした。
ずっと一人で試作を重ねて、帰国が迫りつつある中で、何か卒業制作を!と思ったときに作ったのがPATAGONIANだったのです。
当時、クライマーに最も支持されていたアウトドアのブランド、‘パタゴニア’。
オーストラリアで最大の岩場アラピリーズは世界中からクライマーが集まっていました。そこにいた多くのクライマーの支持を集めていたブランド、パタゴニア。ヨセミテのクライマー、イボン.ショウィナードが作ったブランド、パタゴニア。今ではとてつもない大企業になってしまったけど、パタゴニアのロゴマークを卒業制作に選んだおいら・・・クレームがつかないように、パロディも含めてさいごに「N」をつけたのでした。
こんな思い出話も年を取った証拠ですね!
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