宿の庭のオオミスミソウの花は終わってました。
玄関は入ってすぐにあった鉢のオオミスミソウはかろうじて咲いていました。
おかみさんが囲炉裏に炭を入れてくれました。
本当に食事がいいんです。前菜 お刺身 カニ 鍋物 煮物 揚げ物 焼き物 蒸し物 小鉢類
僕のお気に入りは「わかめのしゃぶしゃぶ」。宿のおじいちゃんが採ってきた天然のわかめ。鍋にくぐらせた途端に鮮やかな緑、食感も歯ごたえがあり、ポン酢でいただきます。
鯛のユッケ風とカレイの揚げ物。
鮭の焼き物の上にメレンゲと桜が乗っかっています。おいらに食のレポートは厳しい!
〆の鯛茶漬け
築350年とも言われる建物。
裸足でも平気なのは床暖房だったりするから。
野積海水浴場の目印になっている「立岩」です。説明文
「その昔、海の中にあったものが信濃川の堆積作用によって陸上のものとなったと伝えられる「枕状溶岩(海水で急速に冷却された溶岩)」です。大正11年(1922年)に、大河津分水路に初めて通水がされるまでは、野積集落の海岸線は立岩辺りにあり、当時は漁業や製塩が盛んにおこなわれていました。沖合で漁をする人々にとって立岩は船を操る際の目印にもなっていました。」
まつやさんの海の家。夏は海水浴場なんですね。
一晩たったら雨も止んで、穏やかな日本海。
このヨシズのかこいは飛砂被害対策なのだと思います。日本海の季節風は激しいのでしょう。
朝の散歩、浜を中心に一時間もしてしまいました。朝食です。塩味のしっかりした塩鮭と、季節ものらしいのですが岩海苔の味噌汁。これまた食感がしっかりしていておかわり!でした。
庭の東屋で燃やされるのは、浜に打ち上げられた流木です。いくらでもあります。
吊るされた塩引き鮭。
大河津分水路(おおこうづぶんすいろ) 立岩の説明文にあった大河津分水路、気になりますよね
信濃川が日本海に最も近づく地点の大河津から寺泊海岸までの全長約10kmを繋いだ人工水路です。信濃川の洪水を日本海へ流し、日本有数の穀倉地帯である越後平野を水害から守っています。数百年単位の治水の歴史です。大河津分水路が日本海に流れ込むところから上流を見ました。ちょうど国道402号線の橋の上からです。
話を野積海水浴場のシンボル立岩に戻します。宿から立岩は100mくらい。立岩から海までが200mくらい。昔は立岩の位置に海岸線があったということですから、砂の堆積で海岸線が伸びているということになります。大河津分水路に水が通った初めが大正11年、今から94年前です。約100年弱で大河津分水路によって運ばれてきた堆積物ということになります。
大河津分水路が出来たことによって信濃川の河口付近でも変化が起きています。川によって運ばれる堆積物は減り、河口が後退するという被害でした。山と海は川で繋がっているんですね。
信濃川はかつて度重なる水害によって越後平野に壊滅的な被害を与えてきました。この被害をなくすためには、増水した水が越後平野に入る前に一部を日本海へ流す必要がありました。そのために作られたのが大河津分水です。大河津分水は越後平野を潤し、水害から守り続けています。
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