2016年6月13日月曜日

八紘嶺

山伏やんぶし山頂からの富士山です。


 広々とした山伏山頂。シカの食害予防の柵があることは前回書きました。山伏から八紘嶺に縦走するわけですが、鹿との遭遇が半端なかったです。鳴き声がしたと思ったら動くものあり、お尻の白い毛を見せながら逃げていく。稜線を歩いているだけで、鹿だらけじゃん!となりました。


青々とした笹と森というシーンは、安倍奥のみならず深南部や白根南嶺の専売特許なのですが、この稜線の3分の1の笹は枯れていました。


山伏から八紘嶺にかけての県境(山梨と静岡)の尾根、多重山稜で時々こんな気持ちよさそうな斜面があったりします。テント張ったら気持ちいいことうけあいです!


時々展望が開けます。これは北の展望が開けたら見えた北岳。奥の一番尖ったのが北岳です。


有名な大谷崩れのある大谷嶺。樹木も生えていない斜面が大谷崩れということになります。


大谷嶺手前の新窪乗越。ここを南に下ると新田集落に下れます。大谷崩れのボトルネック、扇のかなめを通ってです。


新窪乗越から大谷嶺までは一本調子の登りというわけではなく、小ピークが2つほどあります。その1個目の下りで登場する標識。大谷嶺は静岡側の地名で、山梨側の早川町では行田山と呼ぶそうです。四捨五入するとちょうど2000mの山頂。今から16年前になるということですが、西暦2000年に早川町が井川雨畑林道の途中から登山道を設置、その登山道が稜線に出てきたところの標識がこれです。その井川雨畑林道は土砂崩れで復旧の見通しはありません。標高約1850mの大笹峠に車で行けていたら、この周辺の登山事情もだいぶ違うことになっているでしょう。


ふり返ると山伏が見えました。


大谷嶺の山頂。いろんな記念碑が乱立している山頂です。早川町の立てた2000年の記念の標識の行田山の行田という文字は削られて消されています。山頂には何の罪もないのですけど、何となくその現実を見ると心がささくれます。


大谷嶺から八紘嶺に進み、半分までは優しい尾根道なんですが、八紘嶺に近づいたギザギザの尾根は注意が必要です。傾斜があり、尾根のトップを進めないので尾根の側面のトラバース道です。ロープが設置されていますが注意して通過です。


八紘嶺山頂。
一応国土地理院の三角点名を調べてみました。八紘嶺の三角点の点名「白崩」、八紘ってなんだ?となります。「八紘一宇」という太平洋戦争に向かう暗い時代の戦意発揚のスローガン、というのが今の時代の認識だと思います。時代的背景はわかりませんが、以前は白崩と呼ばれていた山頂が、八紘嶺と戦争前に呼ばれるようになったということ。昭和の初めのことです。
ちなみに、大谷嶺の三角点名は「行田」です。三角点の設置をするのにあたって、人足などは山梨県の早川の人たちが請け負ったのかもしれないということが想像できます。山梨側の呼称が三角点名になっているのですから。


八紘嶺から安倍峠に向かう尾根は、笹原があったり急な坂だったり痩せ尾根だったり、変化に富んでいて面白かったでした。写真は南を見ています。身延山地と呼ばれる尾根、北岳からずうっ~と南下して、代表的な山の名前を書くと、八紘嶺、十枚山、真冨士山、竜爪山、日本平となります。


ミヤマクワガタ  真夏の暑い盛りの印象の昆虫ですが標識にとまっていました。


せっかく遠くに来たのだから、ということで山梨と静岡の県境の安倍峠に向かいました。県境の尾根は素晴らしい森です。


オオイタヤメイゲツ、カエデです。


開かずの峠道になってしまった安倍峠のモニュメント。開通記念日なのですが今は土砂崩れで通れません。大笹峠同様、復旧の見込みはありません。何とも皮肉な記念碑です。


安倍峠から安倍川の源流のトレールに入りました。たくさんのカエデやブナやミズナラの森の中を、源流のなだらかな地形の水の流れがくねくねとはじまる場所です。勝手に日本の森林百選に選びたいくらいの美しい森です。


ゆっくり太古の森を堪能しました。


と、そこまでは良かったのですが・・・梅が島温泉に下る登山道はしごきの道。整備された針葉樹の植林地。暗くて石ゴロゴロのとても歩きにくい道でした。1時間弱苦しみながら梅が島温泉到着。


最後の植林地の下りにへとへとになって、梅が島温泉からはバスで新田に下りました。


全てにおいて南アルプス的な山行でした。堪能しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿